不登校

不登校 親の心理

辛い・苦しい・助けて・・からの脱出

前回投稿「不登校 子どもの心理」に関連する内容です。

不登校 子どもの心理

前回投稿
「不登校 子どもの心理」

  1. 子どもの心理と親の心理の密な関係
  2. マズローの欲求5段階説(おさらい)
  3. 親の苦しみは5つの欲求を1つずつ手放す痛み
  4. 子どもと歩調が合えばラクになる

1.子どもの心理と親の心理の密な関係

前回記事は、不登校に陥った子どもの心理を、マズローの欲求5段階説に基づいて考えてみましたが、今回は親の心理を考えてみたいと思います。

それは、長男の心理状態は、母親であるわたしの心理状態によって明らかに左右されていると実感したから。

わたしが言った一言で、

わたしが取った態度1つで、

ガラガラガラ~っと長男の心のシャッターが閉まるという、耐えられない苦痛に何度も遭遇したから。

母親だって人間だよ。

顔で笑って心で泣いて・・なんていつでもできるわけじゃない。

ちょっとでもしくじれば、全力のしっぺ返しを食らう・・

そんな張り裂けそうな状態が、ほんとに辛くて、

逃げ出したい、

母親なんかやめてしまいたい、

だれか助けて・・

そんな危機的状況から、今、少しいやかなりラクに過ごせるようになったきっかけが、マズローの欲求5段階説をもとにした「不登校 子どもの心理」でした。

ここに行きついてから、
わたし自身なるべく笑って穏やかに過ごすこと、
今の状態を過剰に心配する眼差しをやめ、
改善を目的とした声掛けをやめました。

ただなんでもない日常を過ごすことに徹しています。

すると今、長男の表情は柔らかく、
他愛もない会話で笑い合える時間が増えてきました。

逆に以前のようにわたしが不安だらけで、どうにか今の状況を打開したくて、思いつくままに何かを提案したり、強い口調で迫ったりしていたとき、長男は明らかにわたしを避け、鋭い目つきの険しい表情でした。

ほんとにイヤというくらい、親の心理状態が子どもの心理状態に影響を及ぼしているのかを痛感させられました。

そして不登校の子どもの心を充電するためには

子どもの心理状態を、
マズローの欲求5段階説に当てはめて、
その段階に応じた接し方をすればいいのか。

そんなことを確信して、ますます心がラクになりました。

でもここに辿り着くまでに、味わったあの絶望感、不安感、喪失感のとてつもなく大きいことよ・・・

なんでもっと早くこれに気付いて、ラクに過ごせなかったんだろう。

そう考えると、これもマズローの欲求5段階説に当てはめて考えることができると思いつきました。

2.マズローの欲求5段階説(おさらい)

マズローの欲求5段階説

詳細は前回投稿「不登校 子どもの心理」を参照いただいて、

不登校になった子どもって、食事や睡眠などの生理的欲求以外はすべて手放した状態になっているわけです。

なのでその1つ上にある「安全欲求」を満たすために家や部屋に閉じこもる、いわゆる不登校状態になっている。

そう解釈しました。

3.親の苦しみは5つの欲求を1つずつ手放す痛み

子どもが不登校になる前、何らかのシグナルを発していることもありますが、すごく弱いシグナルだったりします。

「親に言うと心配かけるから」

うちの長男もそう言っていました。

今から思い返せば、小さなシグナルがいくつもありましたが、当時はそれがまさかこんなにも大事になるとは実のところ予想できてはいなかったのです。

そして漠然と、
なんだかんだ大丈夫なんだろうって思っていて、
というかそう信じていたくて。

勉強も部活も、すんごく頑張っていて、

きっとわたしはそんな長男の姿がまぶしくて、嬉しくて、自分のことのように誇らしくて。

だからある日突然、学校に行けなくなった姿をほんとのところで受け入れられなかった。

頭では、

学校なんて命をかけて行くとこじゃない、休んだらいいって思ってたけど、

現実として学校に行けない日々が続き、

目に見えて長男の様子がおかしくて、

元気も気力も失って、鋭き目つきで口も聞いてくれないなんて、信じられなかった。信じたくなかった。

それでも夜が来て、朝が来て、

そんな現実が続いていくんです。

そこでわたしは1つずつ、願望を捨てていったと思います。

最初に捨てたのは

⑤長男の自己実現欲求

義務教育だから
中学校は卒業できるさ

出席日数やテストの成績が残らないけど
受験はどうやらできるようだ

次に勉強することを放棄することを受け入れました。

④長男の承認欲求

学校の課題くらい提出した方がいい
↓
今のところ勉強はしなくても大丈夫・・かな。

あとで取り返せるだろう

でもあんまり時間をおけば、
もう取返しが付かないかも・・

そしてついに、長期に渡り学校には行けないかもしれないと受け入れました。

③長男の社会的欲求

学校に行けないのは必要な選択

それでも改善しようとしてほしい
自分の病院くらい行ってほしい
言われたとおり薬を飲んでほしい

それがなぜできないの?

そして最後の気付きとして、食べて寝て、笑っていれば万事OK、という砦に行き着きました。

②長男の安全欲求

あなたの心が満たされるまで
好きなことをして
美味しいと思うものを食べて
ゆっくり回復してね

絶対守るから
きっと大丈夫

ここまでくれば、もうあまり痛くないのです(笑)

でもここに来るまでが、相当に苦しいです。

子どもが不登校になってから、
親はまず親としての見栄やプライドも捨てることになるけど、
そんなもんこの際捨てた方がいいものだったのかもしれないけど、
頑張ってきた子どもの親ほど、頑張ってた姿をまざまざと知ってるため、これを捨てるのにはとてつもなく大きな痛みが伴います。

さらに年相応にちゃんと育ってきていた子どもが、ある日突然何にもできなくなって
せめてこれくらいは・・と思うものもことごとくダメだったりして、到底すぐに受け入れられるもんじゃないです。

例えるなら、中学生の長男が、いきなり赤ちゃんになった、くらいの感覚です。

食べる・寝ること以外のことをしようとしない状態です。

もっとも赤ちゃんなら、泣こうが喚こうが、
必要なら抱っこして病院に連れて行ったりもできます。

でも無理やりにどこかへ連れて行くこともできない、
心配だからといっても、何をしているのか分からない時間の方が多くて、
親の精神的にはワケがわからないカオス状態。

そしてこの子の将来は・・もう不安しかない。

そんな状態だから、平常心を保つことの方が難しいに決まってます。

そんな状態から、
長男の状態を把握して、
自分が持っていた長男の欲求を上から1つずつ捨て去る過程こそ、辛く苦しい時間であり、

長男との感覚のギャップから、「何をやってもうまくいかない」時期だった。

そんなことを今、悟りました。

4.子どもと歩調が合えばラクに


子どもの欲求レベルにまで、自分の心が到達したとき、

それは親としての願望や理想を一旦手放せたときでもありますが、

それまでキリキリしていた毎日の些細なこと(起きてくる時間とか感情の浮き沈み)があまり気にならなくなりました。

どんな日もあるよね~って。

楽しそうにゲームしてたり、笑って話しかけてくれたら花マルですよ。

でも実はこれも、わたしはまだいつもそう思えているわけじゃないです。

外で制服姿の中学生や、部活のジャージ姿の子を見かけたとき、

学校からのおたよりで、学年やクラスの活躍を目にしたとき、

カレンダーに学校行事が書いてあったりしたとき、

新聞などで見ず知らずの子どもの活躍が載っていたとき、

そんなときはギューッと心が締め付けられるように痛くて、目をそらしたくなります。

本当ならうちの子だって・・・

手にできていたはずの輝き。

それを全部あの日、置いて来てしまったんだって思ってしまうから。

わたしですら、まだこんな状態です。

きっと本人はもっとでしょうね。

実際にその場にいて、頑張っていたフィールドだもんね。

わたしが目をそらさずに見れるようにならないと、到底本人が向き合うことなんてできないんだろうな。

そう考えると・・・

めっちゃ時間かかりそうやん・・。

これからはきっと、

そろそろ動ける?

いやまだかな?

えーっと、そろそろ・・・

って我慢大会になりそうです。

だからそれまでひたすら待つ、という作業に入ったとこなんです。

せっかちなわたし、穏やかに待てるかな・・。

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