療育日記

初めての発達検査

娘が3歳の時に、初回の発達検査を受けました。
その時のことを振り返って書いています。

  1. 発達検査の予約を取る
  2. 医師の診察
  3. 発達検査当日
  4. 発達検査の結果を聞く
  5. 発達検査の結果を聞いて
  6. 振り返って思う事

*発達検査全般についてはこちらをご覧ください。

発達検査の予約を取る

発達検査を受けるには、医師のいる専門の医療機関や療育機関に予約を取る必要があります。

発達検査を実施できるのは、臨床心理士の有資格者であり、その結果と診察の内容を合わせて診断を下すのは医師です。

発達検査の予約の連絡をすると、

  1. 医師の診察を受ける
  2. 別の日に発達検査を受ける
  3. 後日に発達検査の結果を聞きに行く

発達検査の結果を聞くまでに3回行かなければならない、ということが分かりました。

そして、実際に発達検査を受けるまでに、待たされることが多いです。
娘の場合は1ヵ月ほど待ちました。

この待ち時間が、わたしはとてもソワソワして、落ち着かなかったことを、今でも覚えています。

うまく検査を受けられるんだろうか・・
どんな検査をするんだろうか・・
結果が怖い・・
いろんな感情と、心配が日替わりでやってくるような感じでした。

医師の診察

初めて療育機関に行く日。

不安でいっぱいだったので、夫も一緒に行ける土曜日の診察を予約しました。

まだ小学校低学年だった上の子も、家に一人で待たせるわけにはいかないので、家族4人で行きました。

一般の病院などとは異なる雰囲気で、不安だけど子どもに不安が移らないようにしないと・・と心理的プレッシャーも最高潮、診察に呼ばれるまでがすごく長く感じました。

診察に呼ばれて、これも家族全員で診察室に入りました。

娘はコチーンと固まって、大人しく、でもとても不安げに座っていました。

それもあってなのか、医師は娘のことを尋ねるよりも先に、上の子に話しかけてくれました。

何年生なの?
どこの学校に通ってるの?
学校は楽しい?
など、世間話でもするように診察が始まりました。

なんとなく無口な空間から脱したところで、本題です。

医師から聞かれたこと

  • 家族構成
  • 遺伝的なこと(それぞれの親族に障害を持っていた人がいるかどうかなど)
  • 妊娠中のこと
  • 娘が生まれた時のこと(体重や乳幼児健診の結果など)
  • 今抱えている不安(娘の場合は言葉が遅いこと)について

ざっくりとこのようなことを質問されましたが、それよりも他愛もない世間話が多かった印象でした。

診察って、もっと専門的なことを聞いたり、娘の状態をより詳しく診てくれるものなんじゃないの?と訝し気に思ったことも、よく覚えています。

診察が終わってから気付いたことですが、
医師はきっと、そんな一見すると他愛のない世間話の受け答えから、家族全員の性格傾向に、いわゆる発達障害の要素がないかどうかを診ていたのだと思います。

  • 目が合うかどうか
  • 話のキャッチボールができるかどうか
  • 年齢相応の社会的振る舞いができているかどうか
  • など

発達障害や知的障害は、必ず遺伝するものではありません。
子どもの発達が心配になったとき、特に明らかな発達上の問題がない場合や、グレーゾーンだった場合、血縁者に障害を持つ人がいるのかいないのか、を考慮する、感覚的にそのような印象を受けました。

診察の最後に、次回受ける発達検査についての案内がありました。
担当する臨床心理士から、連絡がありますとのことでした。

この時点では、娘の発達について医師から意見や障害の可能性の有無などを聞くことはできませんでした。
詳しいことは発達検査を受けてみないと分かりません、とのことでした。

発達検査当日

子どものパフォーマンスが比較的良いとされる、平日の午前中を勧められ、幼稚園をお休みして発達検査に行くことになりました。

年齢が小さいと、午後は疲れてお昼寝してしまったり、集中力が途切れて本来の力を発揮できないことがあるそうです。

受けた検査

  • 新版K式発達検査2001(子どもが受ける)
  • 新版S-M社会生活能力検査(親が受ける)

母子分離ができる場合は、基本的に発達検査は臨床心理士と子どもの二人で行います。
子どもが新版K式発達検査を受けている間に、親は別室で新版S-M社会能力検査を受けることが多いようです。

娘はまだわたしと離れることができず、というのと、わたしが心配で傍に付いていたいとの思いから、娘の新版K式発達検査を同室で受けました。

親と同室で発達検査を受ける場合、子どもはどうしても親を頼ってしまいます。
正確な検査結果を出すために、親がしてはいけないことを、まず説明されました。

鉄則【発達検査を手伝わない】

子どもがすんなり発達検査を受けられるように、あれこれと口を出したり手を出したりするのは、禁止です。

親心としては、ただでさえ初めての発達検査で、戸惑ったり娘のように固まったりすることを心配するあまり、ついつい発達検査を受けやすく働きかけてしまいます。

ですが、発達検査とは子どもが今もっている力を測るものなので、年齢別に手伝える範囲というものが決まっているそうです。

例えば、
声掛けと発達検査に使うブロックやパズルなどの道具を持たせるのがOKな年齢と、声掛けだけがOKな年齢と、どちらもNGな年齢とに分かれている、というイメージです。

発達検査に専門的な知識を持たない親の言動が、いつ、どんな形で発達検査を妨害するのか、これすらもわたしたちには分からないことです。
ですので、なるべくぬいぐるみのような存在であり続けます。
子どもが落ち着くためにいる、それだけに徹します。

鉄則【発達検査中の答え合わせをしない】

子どもが出した答えが、合ってるとか間違っているとか、声に出すことは言うまでもありませんが、頷きや首振り、アイコンタクトでも絶対にしてはいけません。

臨床心理士の先生の反応は、子どもがどんな答えを出しても常に一定です。
それを邪魔しないようにします。

親も頑張る発達検査

このような制約を守って、同室で発達検査を見守るのは、ものすごくしんどいです。

次から次へと課題が出てくるので、子どものことがまず心配ですし、それに対する子どもの答えに、いちいち心が反応してしまいます。

「それはできるでしょ」
「あれ?できてたよね?」
「あー、やっぱり間違ってる・・」
「結構できてない項目が多いな・・」
「お!正解してる!」
「なかなかいいじゃない!」

すっとこんな調子です。
ハラハラドキドキ、それも表に出してはいけない。
いっそコンタクトを外して、耳栓でもしてれば良かったと思いました。

「見ざる・聞かざる・言わざる」
これがベストな状態なのです。

こんな感じで、同室での発達検査が終了しました。

この初回の発達検査で、わたしがいつ新版S-M社会生活能力検査を受けたのか・・これが記憶にもうないのです。

新版S-M社会生活能力検査は、マークシートのように回答を記入していくので、
同じ部屋で同時にやったのか、自宅でやったのか、すみません、本当に記憶がありません。

とにかく、疲れ果てて帰宅したことは、はっきりと覚えています。

追記:発達検査後に守るべきこと

親と同室で発達検査を受けたあとにも、親が守るべきことがあります。

鉄則【発達検査の内容を漏らさない】

発達検査を同室で受けた際、親は発達検査の詳細な設問を知ってしまうことになります。

この内容を、発達検査を受けるほかの人に漏らしてはいけません。
テスト問題をリークすることが禁じられているように、発達検査も内容をリークすることは認められません。

罰則があるわけではないようですが、発達検査の数値を意図的に吊り上げることに、なんらメリットはありません。
困るのは、本来の力以上の評価をされた子ども自身だからです。

鉄則【次回の発達検査の練習をさせない】

これも前述の記載と理由は同じになりますが、発達検査を定期的に受けることになった場合も、前回の発達検査の内容を踏まえて練習することはよくありません。

子どもの発達検査の結果が芳しくなければ、次はいい点数を取らせたい、と思う親の気持ちは否定できません。

ですが、練習をしてできたところで、「発達検査の設問」ができただけのことであって、実際の生活場面で類した課題ができなければ意味がないのです。

発達検査の結果数値とは、子どもの「今の力」を知る物差しであって、良い点を取るのが目的のテストではないのですね。

頭で分かっていますが、気持ちを切り離すのが難しいところです。

発達検査の結果を聞く

発達検査を受けた後、結果を聞くために医師の診察を受けます。

発達検査の結果は、
発達指数(DQ)と発達年齢(DA)が、認知・適応面と言語・社会面でそれぞれ出されます。

発達年齢(DA)発達指数(DQ)
認知・適応
言語・社会
発達検査の結果数値表

それぞれの項目ごとに、医師からはもう少し詳しく説明があり、発達上の得手不得手を教えてもらえます。

また、親が受けた新版S-M社会生活能力検査の結果も併せて教えてもらえますが、印象としては子どもが受けた新版K式発達検査で出た数値と大きな乖離がないかどうか、という指標に使われているようでした。

これら発達検査の結果と、初回の診察の内容を合わせて、医師からの見解を聞くことになり、診断が付くタイミングの1つになります。

娘の場合、この時点で発達上の診断は付きませんでしたが、発達がゆっくりな傾向があることと、言語面で遅れが認められました。
(場面緘黙症は診断が付きました)

発達上の診断が付かないことは、年齢が低ければよくあることらしく、それは年齢が低ければ発達の遅れ自体も小さな幅となるため、見極めが難しいそうです。

そしてこの先、本格的に療育を開始し、1年に1度発達検査を受けることになりました。

発達検査の結果を聞いて

発達上の診断が付かなかったからといって、安心できたわけではありませんでした。

それは、「明らかな」問題がなかっただけであって、問題を「否定」できたわけではなかったからです。

発達検査の結果を聞いたら、今まで悩んでいたことに答えがでて、スッキリするのかと思っていたわたしは、なんだか消化不良のような気持ちでした。

また、医師から「発達指数は成長とともに上がることはない」と言われたことを悶々と考えるようになりました。

この時点で娘の発達指数は、どちらの領域も定型発達とされるゾーンよりは低く、発達指数が上がらないということは、クラスや学年の中で最後の方にずっとい続けるということだと思ったからです。

そんなことって・・・
「努力してもしても、報われないなんて、この子が不憫で仕方ないです」
医師にそんな風に言ったように思います。

「発達検査の結果は、この子の未来を占うものではありませんよ」
医師はそう答えてくれたように思います。

そしてこんなことも言われました。
「療育とは、この子の発達の特性から、得意なもので不得意をカバーできるようにすること」

この時は、なんだか雲をつかむような話で、よく分かりませんでした。
発達検査の結果も、つまりのところよく分からないし、これからこの子がどんな風に育っていくのか、もう不安でしかありませんでした。

『障害があることと、不幸であることは同義ではない』

発達検査の結果に泣いてばかりのわたしに、夫がかけてくれた言葉です。

仮にこの先、娘に何らかの診断が付いたとしても、それでもってこの子が不幸になるとは限らない。

障害があってもなくても、幸せにはなれる。

幸せを掴む力を、育んであげよう。

悲観していても始まらない。

この子の育ちのために、今できることを考えよう。

そう思えたことで前を向き、
これから始まる療育を、娘とともに一歩一歩あゆんでいこうと決心が付きました。

今振り返って思う事

この発達検査を受けてから卒園し、就学を迎えるまで3年間、同じ療育機関に通いました。

通っていた療育機関は自宅からはやや遠く、車で20分、道が混んでいれば30分ほどかかりました。
そこへ最初は月に2回、徐々に通う教室が増え、最終的に月に6回と定期診察に通っていました。

さらに自治体主催の親子教室へ月に2回、学習系の民間療育施設に週1回。

後に判明するてんかんの受診に月1回。

歯医者や皮膚科の定期通院。

合わせると、週に3~4回も降園後、娘とともにどこかへ通う日々でした。

空いた日には上の子の用事、幼稚園の行事や用事などが入り、当時のスケジュール帳は予定で真っ黒でした。

我ながらよくやったと思います。

そして何度も
もう辞めたい、
療育なんて本当に意味があるんだろうか、
辛い・・
しんどい
誰か代わって

心が折れそうになりました。

でも長い道のりを歩んだ今、この3年間、頑張ってよかったと心から思えます。

療育の効果なんて、すぐに現れるものではありません。
でも後になって、じわじわと実感できるものだと思います。

さらに療育で得られるのは、子どもの育ち以外にも、
話を聞いてくれる専門家がいること、
仲間に出会えること、
通い続けることで、娘の世界が広がること、
支援の手をたくさん持つこと、
一人じゃないって思えること、
通い続けたことに、自信が持てるようになること、
壁にぶつかったとき、ヒントになる引き出しが増えること、
などなど、
振り返ってみれば、数多くのものを得られた自分がいました。

さらに言えば、就学先を決めるとき、
娘にとってどんな環境がベストなのか、
求める支援が何なのか、
娘がこれからどんな力を付けていってほしいのか、
これらがすんなりイメージできるようになっていました。

療育を通して、
娘が今立っている場所を、置かれている状況を、
親の希望だけじゃなくて、もうちょっと冷静に把握できる力を付けてもらったように思います。

子育ては子どもと親の二人三脚ですが、
療育っ子の場合、その二人三脚の時間が長く、時には子どもを背負って歩くようなもので、親の脚に多くのものが乗っかってるような気がします。

発達検査を受けたばかりの頃のわたしの脚は、頼りなくてフラフラしていましたが、療育に通う中で、少しずつしっかりと立っていられる脚になってきたように思います。

こう振り返ると、発達検査とは最後の審判ではなく、子どもの育ちのスタートラインだったと思います。

どんな結果が出ても、そこがスタートライン。

これこそ、医師が「この子の未来を占うものではない」と言った言葉の中身だったんだと思います。



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