場面緘黙症,  療育日記

場面緘黙症と知的障害

「話す・読む・書く」三大コミュニケーションの壁


基本家族以外と話すことができない場面緘黙症をもつ我が家の療育っ子。

かんもくっ子ポコたん

家の外では「会話」ができないので、
コミュニケーションツールとして、文字の読み書きを
一般的な年齢である年中さんのころから意識して取り組んできました。

ところが・・
この文字の学習が、ほんっとに進まないのです。

学習を始めてから丸3年でしょうか。
まだ読み書きができません。

焦ります。
ほんとに焦ります。

そしてここへきて、
「構音」の問題が浮上している現在。

‣関連ブログ
言葉の不安 ふたたび

先日、お世話になっている学習支援の放課後等デイサービスで、支援計画書の更新のための懇談に行ってきたのですが、やはり、いわゆる「学習障害」的な要素があるのは確か、という先生の認識。

ひらがなを、一文字ずつ認識しているのではなく、
単語のまとまりとして、なんとなく覚えているようです。

そのため、単語のまとまりとして「あたま」と読めても、
次に出てきた「かた」が読めないんです。

この場合、「か」は読めていても、
「た」というひらがなを、その形と音が結びついておらず、
しっかり覚えていないことが原因と考えられます。

「た」の認識は低いけれど、「あたま」という単語のまとまりで認識しているので、「あたま」と読めている。

同じひらがなでも、読めたり読めなかったり、ということが起こります。


文字を正しく聞き取ったり、書き表せるようになるためには、正しく発音して正しく話せるようになる必要がある、と聞いたことがあります。

発語能力がまだ十分育っていない、
場面緘黙症で話せない(外で話す練習ができない)、
そして文字の読み書きが追い付かない・・・

そんな、『話す・読む・書くという三大コミュニケーションの壁』にぶつかっていますが、
本人の「伝えたい思い」というのは着実に育っていて、
伝えたい内容も複雑化してきています。

これをジェスチャーや目くばせだけで伝えることは
もうほとんど不可能に近いです。

たぶん本人も、伝わらないもどかしさから、

「いーーっ❕」

となっていると思います。

見ているこちらも、もどかしくて、同じく

「いーーっ❕」

となってしまいます・・・

かんもくっ子ポコたん 母

本人が「えーい、しゃべったほうが早いわーい!」
となってくれれば、場面緘黙症を打ち破るにあたり、
大きなモチベーションになると思うのですが・・

娘のように場面緘黙症に加えて、発達にも心配がある場合、
この場面緘黙症が療育を受けるにあたって、
ほんとうに困難な壁になります。

大事な言葉の練習にもなる会話が制限され、
発音の練習などにも取り組めません。

思い返せば言葉が育つ幼少期に、
もっと親以外の大人や、同年代のお友達との間で自然な会話ができていたら、
こんなに発語が遅れなくて済んだんじゃないか。

療育の先生にも、実際に会話する姿を通して、娘の発語レベルを正確に把握してもらえていたら。

そう思わずにはいられません。

かんもくっ子ポコたん

場面緘黙症による弊害は多岐にわたります。

自分を表現できないこと、
場面ごとの適切な行動ができないことで、
それはそれは大きな不利益をこうむります。

本当ははやりたかったのにできなかったことが数えきれないくらいあります。

そしてその中には、
もう二度とそのチャンスに恵まれないようなこともあります。

偶然だったり突発だったりするチャンス。

その時に自分を押さえ込んでしまう事が、
これほどまでに大きな「経験ロス」になるなんて・・・

特に子どもの場合は、
たくさんの実体験が、
いろんなことをしたという経験が、
豊かに育つ肥料になるというのに。

石橋をたたいて渡る、
石橋をたたいて壊す、
などという表現に当てはめてみれば、
「石橋の100歩も手前で止まってしまう」のです。

「できた経験」よりも、
「できなかった経験」が多くなって、心に積もっていないか・・心配です。

話す・読む・書く、どれも娘にとっては一筋縄ではいかない課題。

心配事は尽きませんが、どれもあきらめずに一歩ずつ・・ですね。

Follow me!

PAGE TOP