場面緘黙症

場面緘黙症の症状、かん動って何?

~緘動と書いて「かんどう」と読みます~

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かんもくっ子ポコたん 場面緘黙症の症状
「場面緘黙症の症状」

この緘動というのが、場面緘黙の症状だと理解するのに、
わたしも時間がかかりました。

緘動というのは、身体が固まって、動けなくなることを言います。

とりわけ緊張の強い場面で発動し、
カチーン!とこわばって、動かなくなります。

例えば遊園地などで子どもに風船やお菓子を配っていたりしますよね。

あれを受け取ることができず、
固まってしまう、これも緘動の1つ。

また、病院などで、
「お口、あーんして」などの指示に従う、
視力検査でランドルト環のあいている方向を指し示す、
名前を呼ばれて挙手する、
これも緊張が強いとできません。

かんもくっ子ポコたん 無理なこと

これも緘動症状です。

この緘動症状、時に話せないことより厄介です。

身体が固まってしまえば、
押しても引いても動かない。頑固に動かない。

差し出されたお菓子をせめて受け取れるように、
腕を上げようとしても、振り払って拒否を示します。

何にも知らず、喜ばれると思って
差し出してくれたお兄さん・お姉さんは大困惑です。

かんもくっ子ポコたん びっくり

「あはは・・すみませーん」

と苦笑いして、
でもちゃっかりお菓子は代わりに受け取って、その場を去ります。

そんなことが続いたある日、
わたし、帰りの車でブチ切れたことがありました。

今から考えても、
それが良かったのか悪かったのか、判断がつきませんが、
その時はもう我慢ができなかったんです。

帰りの車の中で、
当然のようにもらったお菓子を食べようとするその姿に、

「これはお母さんが受け取ったから、お母さんのお菓子だよ!」
「欲しいんだったら、なんで受け取らないの!」

かんもくっ子ポコたん 激怒

思わずそう怒鳴ってしまいました。

もう情けなくて、悲しくて、やり場のない感情でした。

そうやって、
自分の欲しかったもの、やりたかったこと、
そのチャンスをつかめずに、
悔しい思いをたくさんしてきたことを知っています。

それはあくまで本人の悔しい出来事なんですが、
傍でいつも見ているわたしは、
その悔しさ、もどかしさが、
自分のこと以上に感情の渦を心に貯めていたんです。

そんな事を言われたあとも、
結局なんでそんなことを言われているのか分かっていない様子で、
ただお菓子をもらえないことに泣いて喚いていました。

それも怒りのツボをいちいち刺激してきて、
なんで分からないの!って、
なんでこんなに悔しい思いをしてるのに、
いつまでも代わりに受け取ってもらって満足してるの!って
わたしも泣いて喚きました。

かんもくっ子ポコたん 号泣

話がそれてしまいましたが、
こんな風に、話せない緘黙よりも、
ある意味影響の大きい緘動症状。

それは動かないことで、
手に入らないチャンスがあまりに多いからなのかもしれません。

その日を境に、当たり前のように
娘の代わりに受け取ることを辞めようと思いました。

本当に必要なものは受け取りますが、
お菓子とか風船とか、子どものためだけのものなら、
「欲しいなら自分で受け取って」
という声掛けに変えました。

かんもくっ子ポコたん 自分でやって

幼い時は、できないと分かっていて、
「やりなさい」ということが、無情だと思っていました。

でもある程度成長したら、
やっぱり自分の欲求を形にしたいなら、自分で動くべき。
これを分かってほしかったんです。

この話を療育の先生にしたら、こんな返答でした。

「うーん・・」

「時期がもうちょっと早かったらアウトだったでしょうね」

かんもくっ子ポコたん しょんぼりスタンプ

そう、やりたくてもできないのが緘動であり、
話したくても話せないのが緘黙だから。

でもいつも他人が代わりにやってくれるのが当然だという環境にはしたくない。

きっと家の外では、
先生が代わりにやってくれることが多いように思う。

だからこれを教えられるのは、家でしかないのかな?と思います。

これは場面緘黙の症状なのか、
それとも知的な遅れに起因するのか、
はたまた性格なのか分かりませんが、
基本的に家でもどこでも、娘は「受け身」姿勢です。

言われるのを待っている、
代わりにやってもらいたい、
誘われるのを待っている。

こんな受け身軸があります。

とりわけ家では緘黙・緘動は発動しないので、
家では場面緘黙症であることを度外視して、接しています。

そうすることで、
基本的な自立・自律を分かってほしいなぁと思う今日この頃。

これが正しいのかどうか、正直今でも分かりません。

でもたとえ場面緘黙症であっても、
声が出せなくても、
ジェスチャー1つで伝わる思いはあると思うんです。

何かもらったら受け取って、
「ありがとう」という代わりにペコリと頭を下げる。

これだけで気持ちは十分伝わるんです。

でもそれには伝えようという努力が、
意気込みが、
どうしたって必要なんです。

話せないから伝えなくてもいいや、
動けないから代わりに誰かがやってくれたらいいや、
そんな風には思ってほしくない。

この考えは、きっとこの先も変わらないと思います。

今の自分にできる精一杯を、できる人間になってほしいなと思います。

障害があってもなくても、一人の人間として。

かんもくっ子ポコたん 優しい気持ち


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